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チベット文化圏:7月5日 ジェツン・ペマ女史講演(東京) ~講演内容(1)
チベット文化圏:7月5日 ジェツン・ペマ女史講演(東京) ~講演内容(1)
http://blog.livedoor.jp/info_tibet/archives/51332206.html
7月5日、東京の代々木国立オリンピック記念青少年総合センターにて、インド・ダラムサラにあるTCV(Tibetan Children Village)の理事長であるジェツン・ペマ女史の「幸せになる~人間の価値と子供の教育」と題した講演会が満員の会場で行われた。▼参考記事
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~講演内容~
幼稚園から始まり、(教育の)輪を完結するために大学をつくろうとしています。私は子供たちの生活から学びました。亡命政府が行っている政策についてお話しすることは、常にダライ・ラマ法王が最も重要に考えていらっしゃることを実践していると思っていただきたいと思います。
ダライ・ラマ法王が1959年にチベットを出て最初に行ったのが学校でした。そしてまた、子供たちのためにチベット人の先生を呼び、チベット語や英語などを教え、チベット難民に向けての準備を整えたのが一番最初に行ったことでした。
インドの故ネルー首相のさまざまなアドバイスや援助により、まず若い人にとって重要なのは教育ではないかというで、このようにしたわけです。そういった意味で、教育の重要性を考え、最初に、教育を英語で行うことを考えました。
チベット人がまずインドに着き、彼らが住むインドの環境に慣れ、広い知識を身につけることが重要だと思ったのです。そこでインド政府のご協力を得て、学校を始めました。
学年1~10年生まで、まず最初に行ったのが英語教育でした。そこから始まり、長年に渡り、先ほどお話したインド政府のご協力により建設された5つの学校で、チベットからの多くの難民が学びました。現在まで8万人の難民が逃れてきました。ダライ・ラマ法王の脱出後、多くのチベット人が脱出してきました。
長年の間に、多くの学校が必要になりました。チベット人難民が定住したところ、移住したところには学校を建設してきました。現在は2万8人の子供たちが学んでいます。これらの学校は、3つのカテゴリーにわけられます。
1つ目は、インド政府によって援助された28校で、インド政府の援助によって賄われています。教師、それから学校での食費、そして職に至るまで、インド政府の援助を受けています。チベット人のための中央学校と呼ばれています。
次が、チベットの教育省によるものです。13校あり、2千人あまりの子供たちが学んでいます。それ以外にも、9千人の子供たちが学んでいます。
3つ目のカテゴリーは、TCV(Tibetan Children Village)が行っているものです。5つのTCVがあり、それ以外にも17あります。そして現在、1万3千人の子供たちがここで学んでいます。
他にもチベットフォームズファウンデーションが行っているものが2校、2千人の子供たちがそこで学び、4つの私立学校があります。これはプライベートで、チベット人が実際に自分たちで行っているものです。ブータンやパキスタンや、多くの国々、ネパールなどからも先生たちを呼んでやっているということで、全体で今、2万8千人の子供たちがこれらの学校で学んでいるわけです。
これらの学校で行っているカリキュラムのは、チベット政府で決めています。ネパールやブータンの場合は、ネパールやブータン政府のカリキュラムに従うことになります。地元政府の学校方針に従うということになっています。インドでは、セカンダリボードというのがあります。インドの文部省に該当するところですが、その学校教育部門のカリキュラムに従う形になっています。私たちはそれを拡大し、高校から大学に至るまで、いろいろ教育を行おうとしているわけです。
1972年、ダライ・ラマ法王は、TCV(チベット子供村)の記念日に、TCVを訪問しました。このときに、私たちの子供たちは、もう初等部からチベット語で教育をする時期がきたのではないかと話しました。法王からそういう話を聞いて、私たちはやはり子供たちの教育を考えた場合、そうしようと考えました。そして小学校の初等教育からチベット語で授業を行うことになりました。ある意味でこれは非常に大変でした。すべての教科書は英語でできていたからです。これを今度は英語からチベット語に翻訳する必要がありました。
70年代の当時、資源がありませんでした。当然、資源がないわけですから、なかなかそういうことはできない。そこで、1985年、そのための人材が出てきました。先生たちがボランティアで、英語の教科書をチベット語にしようという声があったのです。
1985年、私たちはこのプロジェクトを立ち上げ、86年、1年生がチベット語で教育を受けられるようになりました。そこから、チベット語を媒体とした教育を受けることができるようになりました。そして次の2年生もチベット語で、という形で5年まで(チベット語の教科を作る)というように徐々にしていきました。そして教科書はすべてチベット語にしました。
つまり、すべての教科について、チベット語をつかって教えすのです。当然やはり、ヒンドゥー語に関してはそれらの言語をつかうようになりますが、それ以外は、チベット語を使うようになりました。
長年にわたり、学校はやはり進化していきます。ですから、教育についても同じであり、教育というのは、非常に重要な役割を果たしています。つまりチベット人の子供たちの将来に関わっているからです。
そしてまた、チベット憲法があります。亡命政府のチベット憲章の中には、「教育はまずチベット人の子供がこの近代社会におけるさまざまな試練を乗り越えていけるように」、また「十分な知識とそれから生活のスキルを身につけるということができるように」。「私たちの国の文化やアイデンティティを守っていけるように」、そして「教育は、チベット人社会における人間の質、またこの亡命社会において、また世界において通用する人間をつくっていくこと」。「民主的な価値をもち、また、市民として、世界に通用する人間として育っていくこと」。これらが私たちの憲章の中に書かれています。これをベースに、私たちは教育を行っているわけです。
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