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炙り出される「過去」 「インドは支持しない」ネルーの言葉

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炙り出される「過去」 「インドは支持しない」ネルーの言葉 http://www.onekoreanews.net/past/2008/200804/news-seiji02_080423.cfm http://www.onekoreanews.net/img/seiji/08042302.gif 54年。ニューデリーで「平和5原則」を確認する周恩来とネルー (C)THE HINDU PHOTO LIBRARY ダライ・ラマは北京で周恩来と毛沢東に会っている。  毛沢東への印象は、少なくとも周恩来に対するほどには悪くなかったと、彼は回想記「My Land and my People」(Asia Publishing House,1962)で述べている。  周恩来は、意外なことなのだが、中国少数民族の間では好印象をもたれていない。「狡猾」、とすら人々は言い、ダライ・ラマもそう思ったようだ。実務的で感情を面に表さないところが無慈悲に映ったということもあるが、現実に、「解放」と「国防強化」を同時に謳い、50年のチベット侵攻を立案、指揮したのは周恩来だったし、59年の軍事制圧に際し、「チベット政府の解放」を宣言したのも彼だった。  毛沢東は何事にも率直で、ときおり、ダライ・ラマの手を取り、「あなたを尊重する」と言い、「釈迦は人民に貢献したと言えなくもない」と、仏教への理解を少しは示しもした。  ダライ・ラマは、毛沢東の明け透けな態度に感じ入り、心を通わせることができたのだという。  それでも、不安は拭いされなかった。  中国政府は、「解放」のためには、土地改革と思想改造が求められるのだと主張し、事実、その通り事を進めた。ダライ・ラマの耳に達していたのは、土地をなくしたチベット人たちの話であり、その後に入植してくる無数の漢族のようすだった。軍用道路の建設に、毛沢東思想の学習にかりだされる僧侶たちが多くいることを聞いたし、漢族との結婚を強制され、あるいは、それを拒んで不妊手術を強制されるチベット人が後を絶たないということも聞いた。  毛沢東は果たして自分の話を聞き入れてくれたのか。期待と不安がまざり、ダライ・ラマは深く悩んだという。  北京を発ちラサに戻ろうとする前日だった。毛沢東に呼び止められた。ひとり毛沢東の執務室に入ると、こう言われたという。  「よく北京にいらっしゃった。あなたの態度は良い。この間よく考えましたか? 宗教は毒だということを。あれは民族と物質的進歩を妨げる」  毛沢東に対する印象は一変する。「日はすっかりと落ち、私は毛沢東の致命的ともいえる言葉を、顔を上げることもできず、うつむきながらただ聞いていた」  ラサに戻ると、ポタラ宮で外界から隔絶される生活を強いられた。そうして2年が過ぎる頃、良い報せが舞い込んできた。インドが「ブッダ・ジャヤンテイ」(釈迦生誕2005年祭会議)に招きたいのだという。インド首相ネルーとの会談に期待がふくらんだ。1956年のことだった。  が、ネルーへの期待は大きく外れた。「ラサに帰って17ケ条協定を守ったほうがいい」。ネルーの言葉だった。深い失望感におそわれたのはまちがいない。ダライ・ラマは後に、インド・ダルムサーラで行った記者会見でこう述べた。  「わが代表団は、中共軍のチベットに対する一層の武力行使とそれによる我が国への全面的な破壊と荒廃という強迫を受けて協定調印を余儀なくされた」(1960年6月20日)  ネルーは、54年6月、コロンボで「平和5原則」を提唱した。「五つの精神」(領土主権の尊重、相互不可侵、内政不干渉、平等互恵、平和共存)を謳ったのだが、ネルーを支え、コロンボ会議を成就させたのは周恩来だった。「平和5原則」は皮肉にもチベットの解放にたがをはめた。  ダライ・ラマは、「自分たちの自由を勝ちとるまでインドに残りたい」と求めた。果たして、チベットの窮状を訴えるダライ・ラマにネルーはうつむき、言った。  「インドはあなたを支持するわけにはいかない」  傷心のうちに再びラサに戻るダライ・ラマを待ち受けていたのは、依然として「独立」を求める人々と、投獄される人々の叫びだった。「宮殿にもたらされたのは、人びとの苦しむ声ばかりだった」と、ダライ・ラマは言う。  「…残虐さは枚挙にいとまがなかった。彼らは処刑の最中に『ダライ・ラマ万歳』と叫べないよう人々の舌を引き抜いたりもした」  にわかには信じがたいと言う人々がいる。だが、国連は信じた。1959年10月、中国政府に対し、「チベット人の基本的人権と特有の文化および宗教生活の尊重」を求める決議を採択した。10年ほどたって民間の側でも、たとえば米国のチベット医学調査隊に同行した医師や人権団体などが、ダライ・ラマの言う「残虐」を裏付けるだけの場を目撃し、証言を得た。しかし、それだけだった。世界は動かず、チベットに抗う術は何ひとつなかった。ネルーに見放されたとき、チベットの現実を訴える声は、チョモランマを越え、世界に届くことはなかった。(編集委員 梁基述)

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